多次元キネシオロジーを学ぶ前の私は、こんな事をあるSNSに書いていました。
厨二病っぽいですが、間違いなく私がずっと思っている事だし、多次元キネシオロジーは私が2016年に書き残した想いに近い学びだと感じているので、ここに残しておきます。
私の認識している「目に見えるもの」「感じられるもの」と「見えないもの」というのは、脳がまだ理解認識していないだけで、全て同列なのである。
だって、目を閉じれば「何も見えない」し、
耳を塞げば聞こえない。全部脳が働いている範囲内で動いている。
皆「感性」を使って生きている
五感の先の「第六感」。
指で頚椎を触診するにも、ひたすら反復して「感性」「感覚」を磨いた。(まだ完璧ではないけど)
言葉を発するにも、親が教えてくれた。
自転車の乗り方もそう。
それと同じで、見えないものを見る事も「見えないけれどある」と認識するだけ。
「見えないけれど存在する」事を知り続ける。
その感覚を研ぎ澄ませ続ければ、全ての人たちがエネルギーやスピリットという存在を当たり前に、日常的に理解することが出来るんだと考えている。
もしくは、科学がこのまま進歩し続けた先には
「科学とスピリット・スピリチュアリティの統合」が待っていると思う。
人類が初めて「思考し」自我と自他を知ったように、見える、見えないを当たり前に超える世界。
引き寄せとか、ネガポジとか、そんなのは必要ない。
というか、私が書いていることはそんな平面的な事ではなく。
私は、色々な人がもっと「自分が認識していない次元や、感性があること」を知っていく時代が来る気がしている。
人間活動で今まであった感性はそのままで、ただ、もう一つの感覚が加わる事で、時代が加速していくんじゃないかな。
おしまい。
こんな事書いている自分、ほんと恥ずかしいって思いつつ、多次元キネシオロジーって、まさに自分が認識していない次元や感性を扱うセッションだと思い、、、
思考は現実化するんだなって感じました。
多分だけど、またこれから学ぶ先で、もっともっと現時点では信じられないような事が起こるような気がしてます。
今年はどう変化するんだろう。