わーい^^
この方は、ただ多次元キネシオロジーを学んでいるというだけではなくて、とっても感性が優れている方なので、話していて安心感を抱きました。
お互い多種多様の宇宙遺伝をもっているけれど健やかに暮らしている。
宇宙遺伝調整は、すればするほど楽になるものだけど、しないならしないで、決して不幸な訳じゃない。
のほほん。
と、今を超えていきたいですね^^
この方が来る前に、以前録画していた番組を見ました。
最初に認知症と名前を付けて、デイサービスを作った長谷川先生のドキュメンタリー。
長谷川先生は、認知症の研究をしている時、先輩にこう言われたそうです。
「この研究は、自分が認知症になって初めて完結する」と。
番組で出てきたフレーズを思わずメモしてしまいました。
・認知症になると、確かさがあやふやになる。
・無感動、心の高まりがない。心を返してくれ
・言って良いのか悪いのか分からないから、寡黙になる
・夢と現実の境目がわからない
・余分なものが、剥ぎ取られる
・不安の気づきもなくなる
・神様が用意した一つの救いが認知症
最後のワード。
「神様が用意した一つの救いが認知症」
これがもし。
認知症研究の最後の答えなんだとしたら。
結論なんだとしたら。
認知症になる事で、少しずつ旅立つ用意や準備をして、最後に不安も無く旅立つ事が出来るのかな。
なんて事を考えてしまいました。
もちろん、介護する人の不安や苦労苦痛はありますが、1番辛いであろう本人が苦痛や不安に苛まれる事なく老いを全う出来るのは、確かに救いなのかもしれない。
もう一つ感じたのは、メモの前半は、認知症じゃなくて脳の機能が低下している人にも見られる傾向ではないか、という事。
脳が何かしらのストレスで抑圧されてる場合でも、無感動、確かさがあやふや、決断力の低下はあります。
多次元キネシオロジーでも脳の調整という項目がありますから、変化を促すことは期待出来ます。
多次元キネシオロジーの可能性。
まだまだ、これから広げていきたいです。