こんにちは!めぐみです。
今回は私が読んだ漫画と、読んだ後のインスピレーションの話をしようかなーと。
私の長い独り言です、、、笑
少し前に「宝石の国」という漫画が完結を迎えました。
私は待ちに待った最終回を迎える前に、これまでのストーリーを何度も読み返し、いざ!最終回!!
無事に(?)読み終えましたけれど、、、けれど、、、。
頭の中の今まで作り上げてきた自分の価値観や常識、概念がごちゃっと、グニャ〜っと歪み出して、グルグルと回転し、最後は思考が真っ白になりました。
無になりました。
自分が今まで見てきた、決めてきた事は、一体何だったのだろうかと。
「宝石の国」は、意思や感情を持つ見目麗しい宝石達のお話ですが、最後の最後は宝石達がメインのお話ではなくなります。
なんなら、何の変哲もない石だけが残る世界、そして全ての役割と責任から降りた優しい1人の元宝石のお話しに変化を遂げます。
読む機会があれば、是非読んで欲しいなと思います。
私が読み終えて、無になって、自分の思考が戻った後に改めて感じた事が
たとえば、近くに当たり前に落ちている石にも、クリスタルと同じく、その石独自のパワー、エネルギーがあるんだ。
独自の言葉や周波数があって、独自のペースで放っているんだな。
もしかしたら、綺麗なクリスタルを購入しなくたって、私が「素敵だな」と思って目に止まった石に祈りを込めても良いのかもしれない。
だって、この世の中にある全てのものの価値は、本当は同じで、値段や価値があるように見えるのは自分以外の誰かが決めてきた価値だから。
もちろん、輸入しなければ手に入らないクリスタルをショップで買わせて貰える事、今は手に入らないから高くなる事も、全然良い事だと思うし、自分では鉱物を見つけられないからこそ、購入出来て本当に有難いのは変わらないのだけれど。
クリスタルの価値、手に入れた人の手間という価値、希少性という価値、とか色々なものが値段に含まれているのよね。
効能が凄いから高い、大きくて輝きがあるから価値がある、とか、きっと本当はないんだと思って。
タイの山奥でヨガの修行に行ったお客様からクリスタルを貰った時に聞いたのは(うろ覚えですが)
「片道6時間位歩くと、クリスタルやフローライトがジャラジャラ採掘出来る場所があって。
一緒に行って、沢山持ち帰らせて貰った。
日本では価値があるけれど、現地の人にしたら当たり前にあるものすぎて、日本で例えば5000円で売っているようなものが300円〜500円で売られてた。
その村の人はクリスタルの加工の仕方も分からないから、原石のままほぼ200円で売って、日銭を稼いでて。
行きのガソリンを買うお金が無いと言っていたので、お金を1000円貸したら、その日1000円だけ稼いで返してくれた。
商売とお金を稼ぐ概念が無い場所だった。」
この話を思い出した。
クリスタルも、自然の一部なんだよね。
現地の人からすれば、川の石とさほど変わらないのかもしれないなぁと。
ただ売れるから、その日を生きる為に採掘する。
皆、その日生きていければ充分だという感じで、ゆっくりとした空気感の村だったみたいです。
本当は、当たり前にあり過ぎて気づかないような、いつも歩いている道にある木々の葉や花にもそれぞれの凄いパワーがある。
昨日の散歩中、私の目に止まった綺麗な葉っぱに触れて、その葉の無条件の優しさに触れた時に、静かだけどパワフルなエネルギーが私の中に流れたような気がした。
そして私は、道端の石を眺めるようになりました。
もしかしたら、私が好きな石に出会えるかもしれないから。
誰かが設定した特別なものは割と見てきたから、これからは私が好きと思えるものを見つけていきたいな。
そんな気持ちでいっぱい。
石も、他の色々な事も、自分で自分の好きを選んで、自分が感じる好きを何よりも大切に。
周りの物差しや誰かが決めた価値を一旦手放して自分で感じたものを選ぶ。
この感覚。
これが宝石の国を読んで感じた事です笑
長くなってしまいましたが、雑記でした〜!
ではまたねー!!