上手く言語化出来ないけれど、書き残しておこうと思いブログにしますね。
例えば、
自分が信じてきたものを否定された(ように感じた)時
自分が見えているものを否定された(ように感じた)時
言ったお相手が、大切で尊敬する人であればある程、強いショックが身体に残ります。
伝えた相手には、相手のこれまでの背景や心情があるし、
言われた人には、その人のこれまでの背景や心情がある。
もしかしたら、伝えた相手からすれば、愛あるメッセージとして伝えた可能性すらあります。
だから、一方が被害者な訳でも、一方が加害者な訳でもないんです。
ただ、自分が持つ背景や経験、過去の何かが反応して、傷ついてしまった感情は本物です。
そこで無理矢理意味づけをしたり、「私も悪かった。」、または「相手がもっとこうすれば良かったのに!」と思うのは、気持ちは痛いほど解るけれど、傷を塞ぐ作業にはならない事を知って欲しいのです。
その傷、悲しみを何故感じたのかを知って、傷の奥にある本当の思いを知る必要があります。
そして、言われた相手と自分の共通感情を見つけてみると、何故こんなに傷ついてしまったのか、感情が昂ってしまったのか、そして本当は相手をどう思っているのかの部分まで辿りつけたりします。
例えば、
もしかしたら、「相手の期待に応えたい」と思っていたのかもしれない。
相手と自分の「不安」がリンクしてしまったのかもしれない。
そして、もしかしたら相手も、私に期待していたのかもしれない。
じゃあもしかすると、本来お互いが共通して抱いている感情は「期待」と「愛」なのかもしれない。
(かもしれないばかりですが)
と、奥にある色々なものが少しずつ、少しずつ明らかになるわけです。
苦しい、傷ついた感情で自分がいっぱいいっぱい、見えない時って、上に書いたような自分を見ていく作業すらしんどくなるんです。
でも傷を放置してしまうと、感情を抑圧したり、怒りが抑えられなくなったり、苦しくて死にたくなる人もいます。
そんな時、別に壮大なヒーリングを受ける必要はないと思うんです。
自分の苦しみの奥にある何かに気づく事。
そこに気づくだけで、エネルギーの滞り(酷い人はエネルギーが枯れた川のように枯渇している)が取れ、新しいエネルギーが川のように流れ始めます。
ここ最近のセッションは、私が特に何か難しい事をした訳でもなく、来た方の滞りを小さな気付きで整える。
そんな連続でした。
根幹を見つけるまでは凄く時間がかかるけれど、大切な心に刻まれた傷と、言葉を、少しでも柔らかく出来たらと思う日々です。